Saturday 25 September 2010

FRIEND




-どこの国にいても嬉しい人は嬉しいし
悲しい人は悲しいんじゃないんですか?

たしか
こんなセリフが映画「かもめ食堂」にあった。

そうなのだ。
最近ようやくそういったことが身に染みて分かるようになった。
これが大人になるってことなのか
それとも私が単純に無垢な子供だっただけか・・・


と言うのも


ブリスベンで日本人に会う機会は無きにしも非ず。
そりゃ私も日本人だしね?

でも、衝撃的なくらいに皆さん様々に変人なのである。
そりゃもちろん私も含めて。

いい意味での変人ならまだしも

全くもって無知そのものな人や
妙に海外暮らしを偉そうに語る人や
異様に怒りを溜め込んでいる人や
物事を利用価値があるか無いかで判断する人や
とにかく鬱であることに精を出している人や

それが全部内側に向くならまだしも
そういった個々の感情、
妬み憤り哀しみが思い切り外側に向いているから
手の付けようが無い。

-それならなんで日本に戻らないの?


何度、相手に対してその言葉が頭をよぎったか。


そりゃあ決まっているんだ
良くも悪くも国外に住んでいる日本人ってのは

日本でやっていけなかった人間だからさ!

でもそれが

国外でやっていける人間であるということではないのだ!

● ● ●

イタリアへ生まれて初めて旅行したときのこと。
確か・・・高校3年生の時(だったかな?)

私はとにかく無知だった。
イタリアという国、街に大いに期待を寄せて
勝手に想像して知ったかぶっていた。

-きっとイタリアは究極に楽天的な国であるに違いない!

-みんなジローラモみたいなんだきっと!

がしかし、初めて経験する
色々な異文化、異言語にノックアウトされて
なぜか怒りが増しに増して
外側にでるようになってしまった事があった。

-ちくしょうイタリア人めぇ!

みたいな。
お門違いもイイトコロだ。

そんなの自分の凝り固まったエゴと恥ずかしさと
対処できない未熟な自分の悔しさもろもろの表れに
決まっているじゃないかー!

でも、この経験が私を大いに変貌させてくれた。
(他にも変貌要素となった経験は数多くあるのだけれど・苦)

そして結果的にイタリア2回めの旅行では
怒りをためこまずあるがままのイタリアを満喫できたのである。

(まぁ1回めもとっても楽しかったんだけどね)


どうしてそういったことに気づくことができたか・・・
変わることができたのか・・・

それはきっとわたしがどんなに
インドアだとかヲタとか言われようと
常に自分の気持ちの中へ中へと入っていって
ずっとずっと感じて考えていた人間だったからだと思う。

1つ1つの事には意味があると思う。
海外旅行やちょっと変わった経験なんかはもちろん
映画1つにだって歌1つにだって発見はある。

そして考えて整理した分
一昨日よりも昨日よりも
もっともっと前向きになっていける
人間に成れたのだと思う。

日本を飛び出した理由はどうあれ
みんな幸せでいたいはずだ。

なのにどうして自分をわかろうとしないんだろう?
外へ外へ求めたところで結局受け取るのは自分なのに。

わたしだって自分のことはさっぱりだ。
でも分からないなりに考えてみている

前向きでいることは後ろ向きでいることより
ずっと難しいし体力も精神力もいる
辛いのはみんな同じだ

それをどう感じてどう考えてどう動くか
そこに全てがあるって私は信じている。


海外に住むのは恥をかいてナンボなんだよ!


● ● ●

とは言えど

私が今の今まで
こういう人間関係のもどかしさに
出会わなかったことのほうが不思議なくらい

そりゃそうさ

私の日本にいる
わたしの家族、わたしの友達は
私以上にこういうことがちゃんとできる

正義感がつよくて真面目で優しい愛のある
超カッコイイ人間なのだ!

周りのみんながいたから
私は私をもっともっと分かることができたし
自信を持つことができたし

今もめげずにこの国でやっていけているのだ!

こういったことに気づけたことこそ
今回の最良の収穫と言えるかもしれない。

私は幸せものだ。

私は心底恵まれて育ってきてきてしまったようだ。





利用したり利用されたり・・・なんて哀しすぎる。

私は聞きたい

-この国でワタシが日本語を話せなかったらアナタはワタシと友達でいる?



でもでも、
昔も今もこれからもきっと

私はこの世は愛に溢れた人たちで満ちていると馬鹿みたいに信じている。



-Monica

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